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祈りの代償、祈りの見返り

 困った時の神頼みという言葉がある。これは実に都合のいい言葉だ。普段は神などあてにしてもいないのに、自分が困った時にだけ助けてもらい、助けてもらった後にはすぐさま忘れ去る。神にしてみれば助け損もいいところだろう。それでも人は神に頼る。どうにもならないから仕方ないというのなら、それも仕方ないというのだろうか。
 かく言う私も、今から神に頼ろうかと思っている。面接に挑み、考えて臨んだ結果ではあるが、どうにも実践すると勝手が違った。結果がどうなるかは分からないが、大きな期待を持つことはどうしてもできない。しかし、完全に諦めるほどでもない。どうなるかは分からないが、頼ってどうにかなるものならばどうにかしたい。どうしたらいいのだろうか。
 しかし、考えども考えども、解決策は見いだせない。やはり神頼みなどと言う非現実的なものに頼ったところで何かが変わるともとても思えない。やむなく私は床に就き、眠りに落ちた。
 翌朝、誰かの声がして、目が覚めた。
「さあ、朝ですよ。目覚めなさい」
「誰だ、お前は。どこにいる」
「私はあなたの心に住む名も無き神。さあ、朝ですよ。目覚めなさい」
「神だと。ならお前は私の望みを叶えることができるのか」
「あなたの行い次第では叶えられましょう。私はそのための道を示します」
「その道の一つが早起きだと言うのか」
「左様です。さあ、目覚めなさい」
「分かった。ならば起きよう」
 土曜だというのにいつもより一時間以上早い時刻だった。しかし存外、頭は冴えている。平日と同様に、何の気なしにテレビをつけた。
「今日は天気がいいようですね。散歩にでも出かけてみましょう」
「断る。私は疲れている。平日の疲れを癒すのが休日の役目だ」
「あなたは日ごろの運動が少ないようです。きっと外を歩けば気分も晴れ、疲れをとるのに一役買うことでしょう」
「まさかとは思うが、それも私の望みを叶える道だとでも言うのか」
「左様です。散歩に出かけましょう」
「仕方ない。散歩に行くことにしよう。ただし、午前中だけだ」
 軽い朝食をとり、一息ついてから外へと出た。これほど早い時間に何の用もなく出かけるのは久しぶりだ。扉を開け、外の空気を大きく吸い、ゆっくりと吐き出す。
「散歩というのも、存外悪くないのかもしれない」
「何よりです」
 近くの公園へと足を向ける。小さい頃は実家近くの公園へ両親とともによく遊びに行ったものだが、一人暮らしを始めて以降めっきりと訪れる機会が減ってしまった。
 公園に着くと、まだそれほど人は来ていなかった。青々と茂った芝生の広場には体操をする老人、ボールで遊ぶ親子、遠くには草野球チームの練習風景が見えた。
 広場周辺の道をのろのろと歩いていると、自動販売機があった。そういえば今朝はコーヒーを飲むのをすっかり忘れていた。初めから目が覚めていたからだろうか。
 コーヒーを飲もうかとも思ったが、せっかく久しぶりに軽い運動をしていることだし、スポーツドリンクでも飲んでみようという気になり、そのボタンに手を伸ばした。出てきたスポーツドリンクをあけ、一口、また一口のどを通す。冷えた液体が体の芯にしみわたるのを感じた。
 のどを潤すとボトルをかばんにしまい、自販機を後にしようとした。ふと隣のゴミ箱、その下に転がっている缶に目がとまった。誰かが投げた缶が入り損なったのだろうか。
「缶を拾ってゴミ箱に入れましょう」
「必要ない。どうせ袋を交換する業者が、その辺に落ちている缶もまとめて持っていく」
「しかし、それまでの間あの缶はそこに転がったままになります。それではこの公園はごみに汚れた汚い公園ということになってしまうでしょう」
「誰かのゴミを片付けるのも、私の望みを叶えるためだというのか」
「左様です。缶をゴミ箱に捨てましょう」
「私のためだというのか。ならば仕方ない。捨てて行こう」
 ゴミ箱の足元に転がった缶を拾い上げ、ゴミ箱へと入れた。しかしよく見ると、ゴミ箱の裏にも缶が二つほど落ちていた。
「この缶は表からは見えない。ならば公園が汚れていると認識する者はいない」
「あなたは認識したでしょう」
「確かにな。だが私にはそれを言いふらす趣味はない」
「缶を捨てましょう」
「私のためだとのたまうか」
「左様です」
「分かった。ならば捨てよう」
 ゴミ箱をつかんで引き出し、裏側に落ちていた缶を拾い、ゴミ箱へと捨てた。幸いなことに缶はあまり汚れておらず、私の手も汚れることはなかった。
 散歩を続行する。広場の周りを歩いていると、足元をボールが転がっていった。私のことは通り過ぎてしまったが、ボールの来た方向からは少年が走ってくる。先ほど見た草野球チームだろうか。
「ボールを拾ってあげましょう」
「ボールは私を大きく通り過ぎている。少年も私に取ってもらえるなどとは思っていまい」
「あなたが拾ってあげることで、彼が走る距離は短くなります。あなたが少し歩くだけで彼が走る長い距離がなくなると思えば、儲かったと思えるはずです」
「私が歩く必要がそもそも……望みを叶える道だと言うか」
「左様です。ボールを拾ってあげましょう」
「仕方がない。拾ってやるか」
 私を大きく通り過ぎたボールまで歩いて行き、拾ったボールを少年に投げ返した。キャッチボールなど中学以来だが、うまく投げられるものだ。
 公園での散歩を終え、家に帰ってきた。たかが散歩だと言うのに、やけに疲れたような気がする。
「それもこれもお前がいちいち口うるさいからだ」
「私はあなたの願いが叶う道を示しているだけです」
「全て私の願いを叶えるためだと言うのか」
「左様です。信じる信じないはあなた次第ですが」
「鬱陶しいが、他に頼るものもない。結果が出るまでは信じておいてやる」
 それからというもの、私の心の神の示す道とやらは、エスカレートこそしないが収まる気配はなかった。
「あそこにおばあさんがいます。席を譲ってあげましょう」
「こんなラッシュ時に乗ってくるほうが悪い。優先席へ行くべきだ。それとも、譲るのは私のためだと言うのか」
「左様です」
「仕方ない、譲ろう」
 席を譲ると、やたらと感謝された。
「信号を無視している方がいます。注意しましょう」
「無視するほうが悪い。ろくな教育を受けていないんだ。ひかれたとしても自業自得だ。それとも、注意するのは私のためだと言うのか」
「左様です」
「気は進まないが、注意するか」
 かなり軽そうな感じの高校生だったのだが、思いのほか素直であっさりと聞き入れてくれた。それどころか感謝までされた。
「あそこに歩きながら煙草を吸っている人がいます。やめさせましょう」
「確かにここは路上禁煙だが、たった一人だろう。放っておいても大した害はない。それとも、やめさせるのは私のためだと言うのか」
「左様です」
「分かった。やめさせよう」
 路上禁煙だと注意すると、誰にも迷惑をかけていないからいいだろうと逆切れされた。煙草を消させることはできたが今度はポイ捨てをしていき、結局吸ってもいないたばこの吸い殻を私が捨てる羽目になった。
「あそこに列に割り込んだおばさんがいます。注意しましょう」
「私はあの列に全く用がない。並んでいる者が注意しないのならそれは割り込みを認めたも同然だ。それとも、注意するのが私のためだとでも言うのか」
「左様です」
「なぜ私が。仕方がない、注意しよう」
 割り込みを注意すると、いきなり全く関係ない話を持ち出されて喚きだした。何を話しても聞く耳を持たれず、最終的になぜか私が店から出される羽目になった。
「あそこに酔っ払いに絡まれている人がいます。助けてあげましょう」
「バカを言うな。あの酔っ払いの体格は私がどうこうできるレベルじゃない。それでも助けるのは私のためだと言うのか」
「左様です」
「仕方ない、やるだけやってみよう」
 間に割って入ると、からまれていた女性はすぐさま走って逃げ去った。しかし今度は私が酔っ払いに絡まれてしまい、そこから逃げ出すのに三十分を要した。
「あそこに車にひかれそうになっている子供がいます。助けましょう」
「いくらなんでも危険すぎる。先日の酔っ払いの比ではない。それとも、そうまですることも私のためだと言うのか」
「左様です」
「ふざけるな。ここまでお前の言うとおりにしてきたが、今まで何もいいことは起きていない。私の望みも叶う気配がない。もうお前の戯言につきあってなどいられるか。あの子供を私は助けない」
「それでは、あなたの望みは叶わないかもしれません。それでもいいのですか」
「構うものか。もともと、すでに結果は決まっているんだ。神に頼ったところで変わるはずもない。お前の力など借りない」
「左様ですか。では、あの子供は見捨てましょう」
 直後、子供は車にはねられた。宙を舞い、強く頭を打ったように見えた。救急車はすぐに来たが、助かったかどうかは知らない。
 それから、心の神が私に注文をつけることはなかった。それらしい場面に出くわすことがなかったというのもあるが、それまで口うるさかったのが静かにしていると、妙に気味が悪い。
 数日後、結果が届いた。不合格とのことだ。ある程度予想のできていた結果ではあったが、ここで一つの疑問が浮かんだ。もしあの時、あの子供を助けていたらどうなっていたのだろうか。自分の身を顧みず、心の神の示した道に準じていたらどうなっていたのだろうか。きっと、何も変わらなかったに違いない。こうして今届いていた結果が変わっていたはずがない。届く前から結果は決まっていたのだから、私が私の身を案じたことに間違いはなかったはずだ。
 さらに数日後、私はシュレーディンガーの猫を知る。これにより私は、さらに数日、ひどく悩まされることになった。

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