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空虚な世界の花二人

世界滅亡。
などという内容の予言が数多くあったであろうことはこれまでに話題になった予言の数からいっても不思議には思わないが、それらの予言が一つも当たらなかったであろうことも、現在世界が滅亡していないことから考えて同じくらい不思議には思わない。
と、世の多くの人は考えるだろう。
しかし俺は、極めて残念なことに、それを不思議に思わないことができない。

「……おはよう、花井くん」

小さな声で俺に朝の挨拶をしてくる。
周りの誰も、字木の挨拶には耳を傾けていないようだ。
そのまま俺の返事を待つこともなく、自分の席に腰掛ける。

「……おう、おはよう」

求められてもいない、受け取る相手のいない挨拶を返す。
俺と字木は、それまで大した関係はなかった。
クラスメイトで、隣同士の席であっても、ただ挨拶を交わすだけの関係だった。
なんとなく、互いの纏う空気が違うことを察していた。
少なくとも俺はそう思っていた。
しかしどうやら、字木の方は俺とは違う認識を持っているようだ。
正確には持つようになった、だろうか。
その経験が夢でなかったのならば。

時はわずかに遡る。
ほんの数時間前、俺が朝目覚める直前だったのだろう。
俺は字木に、夢で会った。
と、普通なら認識するだろう。
俺だって今でもそう思っている。
しかし、字木は違う。
昨日の夜八時ごろだった。
空気は冷え切っていた。
毎日の日課である、夕飯前の散歩のときに、それを見た。
空が煌めいていた。
冬至である。
西の端から、太陽が再び昇ってきていた。
空が茜色に染め直されていた。
それも、急速に。
こんな時間に太陽があるはずなどない。
太陽が西から昇るはずなどない。
煌めきは、度合いを増していった。
太陽の方から、いくつかの光の線が空を駆けて行った。
そしてその全てが、再びいくつかに分かれた。
そうして分かれ、分かれていった光の線は、西から東へと稲妻の如く拡散し、地に降り注いだ。
そのうち一つは、散歩コースの小学校に落ち、校舎のうち半分を破壊した。
そのうち一つは、春になると桜の咲き乱れる公園の広場にクレーターを作った。
そのうち一つは、俺の家を破壊した。
散歩の終着点は、なくなっていた。
親父も、お袋も、姉貴も。
死ぬこともなく、消えていた。
喧騒?
パニックが町を侵していった。
注ぐ光は止まなかった。
道路に、家に、そこに見える全てを破壊していった。
何かの放送が聞こえた。
今思えば、避難を呼びかける放送だったのだろうか。
しかしどうやら、それもほとんど意味のないように思えた。
もともと俺の家があったそこは、とても平坦な地面があったような状況ではなかった。
半径二十メートルはあろうかという巨大なクレーターがあった。
一体どこへ避難しようと言うのか。
注ぐ光は、止まず、尚も増大しているように思われた。
光の注ぐ音は増大し、反比例するように、喧騒はなくなっていった。
避難を呼び掛けていると思しき放送も、もう聞こえなくなっていた。
喧騒の主は、人は、恐らくもういなかった。
俺は最早、喧騒の主たりえなかった。
光は注ぎ、尚も街を破壊している。
しかしなぜか。
俺は生きていた。
逃げても、逃げなくとも。
俺の立っているその場所にだけ、光は注がなかった。
あるいは、俺が初めから家にいたのなら、親父も、お袋も、姉貴も。
消えずに俺の隣にいたのかもしれない。
そんな元希望を頭に描きながら、俺は、俺の知っていたはずの景色を探して走った。
小学校は、校舎の残骸を残して砕かれていた。
校庭など、無数のクレーターによって彩られていた。
駅前の商店街は、ただ、がれきの山になっていた。
肉屋も、魚屋も、学校帰りによく食べたコロッケも、恐らくはそのがれきの下だろう。
現在通っている高校も、原形を留めていなかった。
電灯もなく、炎もなく、注ぐ光が全てを照らし、西にあったはずの太陽は、白い月へと姿を変えていた。
がれきの頂上へと登ってみる。
意味などない。
ただ、付近を見渡せば、そこが最も高い場所のように思われたからだ。
登れど登れど、がれきは崩れた。
教室にあったであろう机や、体育館にあったであろう跳び箱など、もうどこがどこだか見当がつかない。
頂上まで登り見渡せば、今だ、光の雨が注いでいた。
数は減っただろう。
音は減った。
携帯など、無論通じるわけもない。
情報はない。
がれきに腰掛け、することもないので雨を眺めていると、その数は徐々に減っていった。
そして雨がやむと、辺りにはとても静かな、静かな。
ただ灰色の地面が広がっていた。
人でも、建物でも、形あったものは全て灰色の地面の一員となった。
ただ二つを除いては。
一つが、光の雨によけられ続け、まんまと生き残ってしまった俺、花井千曲(はないちくま)。
もうひとつが、がれきの上に腰掛けて地平を眺めていた俺をがれきの下から眺めるその女。
俺のクラスメイトで対応しうる形容詞がただ一つ、地味以外に存在しなかったはずのその女。
どうやら全ての元凶であるのだろうと、その瞬間に俺が直感したその女。
字木花火(あざきはなび)その人である。

「……おはよう、花井くん」
「今何時だと思ってんだよ。それは朝の挨拶だろうが」
「朝よ。今は、世界の夜明け」

地味以外の形容をいくつか考えなくてはならないかもしれなかった。
候補その一、電波。

「花井くんは知らないのかしら。今日が何の日だか知ってる?」
「北半球の人間なら誰だって知ってるだろ。冬至だよ、冬至」
「そうね、それもそうかしら。でも、もうそんな暦に意味なんかないのよ」
「うるせえよ。俺はこれから、帰ってかぼちゃ食ってゆず湯に入って寝なきゃならないんだからな」
「必要ない、というか、もう無理ね。この世界にはもう、カボチャもないしゆずもないし、お風呂もなければ布団もないわ。さっきの光、見てたんでしょう?」
「見てたら無理だと理解できるもんでもないだろう」
「あら、見たのに理解できないとでも言うつもり?」
「できるさ。納得はできないがな」

もう一度地平を見渡しても、やはり灰色の地面しか目に入らなかった。
今年開業したばかりの天空大楼閣も、どうやら跡形もないようだ。

「さて、もう一度聞くわね。今日が何の日だか知ってる? もちろん、冬至以外でよ」
「知らねえな。むしろ教えてもらいたいもんだね」
「世界滅亡の予言の日よ」

予言、ね。
いよいよ胡散臭い。
予言で世界が滅んだら世界がいくつあっても足りねえだろ。

「それは誰の予言だよ。お前のか?」
「いいえ、違うわ。マヤ文明の……何だったかしら」
「よくわかりもしない予言の言葉で、何でこんなことになってるんだよ」
「それはもちろん、私がこんなことにしたからよ」
「お前が世界を滅ぼしたとでも言いたいのかよ?」
「私が世界を滅ぼしたと言ってるのよ」

形容する言葉の候補その二、大魔王。

「どうやって信じろって?」
「この光景と、状況から判断できないかしら? 見渡す限りの世界は少なくとも滅んで、世界を滅ぼすつもりも滅ぼしたつもりもないあなたと、世界を滅ぼしたと自称する私だけが生き残っているのよ。反論があれば聞くわ」
「だったら、どうやって世界を滅ぼしたんだよ?」
「さっきの光の雨よ。あれを世界中に落としたわ。日本だけじゃなく、地球の全てにね」
「だから、それをどうやったのかって聞いてるんだよ」
「ああ、そういうことね。じゃあやってみせるわ」

右手を空にすっと伸ばし、そこからさらにぐっと伸ばす。
ほんの少し、一秒にも満たない時間かざした手を、前方に振り下ろした。
何も起きない。
何の音もしない。
しかし、足元の影が、俺と字木の影が、俺から字木の方に向けて伸び始めていた。

「うしろ」

座ったままに体を後ろへと向けると、空の頂点から細い光の線が下へと延びているのが見えた。
その光は輝きを増し、太くなり、やがては極大の光球となって、はるか遠くへと落下した。
光は爆ぜ、どれほどの大きさかもわからないほどに膨れ上がり、その五秒ほどの後に風と、砂ぼこりが猛烈に吹きすさんだ。

「こんな風に、ね。もっとも、世界を滅ぼすのに使ったのはもっと大規模な奴だったけど。どう? 少しは信じる気になったかしら」

信じるも信じないも、こんなことがあるはずはない。
そうだ、それこそ夢でもなければ。

「そうね、あなたは次にこんなことが聞きたいんじゃないかしら。『なぜこんなことをするのか』って」
「そうだな、ぜひ聞きたい」
「そういう予言があったから、現実にしてみたのよ」
「理由になってねえだろ。何で現実にしてみたのかってことだよ」
「別に、それ以上の理由なんてないわよ。これが初めてでもないし」

前にも滅ぼしたことがある?
候補その二の形容が現実味を帯びてきたようだ。

「……まだ納得してないって顔してるわね。これ以上何を疑うつもり? 私が世界を滅ぼした状況証拠はそろってるし、世界を滅ぼす手段も見せてあげたわよね? 一体、これ以上どうしたら信じてもらえるのかしら」
「今のこの光景が、俺の見ている夢でないとどうして言える? そもそも、あんな魔法じみたことが夢の中以外でできるわけねえだろ」
「その証明は難しいわね。結局、夢かどうかを判断するのって、その当人の主観によるわけだから。花井くん自信がこれを現実だと認める以外には方法がないわね」
「だったら、俺はお前を信じねえ。これは絶対に夢だ」
「……じゃあもし、あなたが現実だと思っているときに世界が滅んだら、私が世界を滅ぼせるって信じられる?」
「……何度も続けば、信じるかもな」

こんな酷い夢が何度も続いてたまるもんか。
生きた心地も死んだ心地もしやしない。

「そう。なら、今日のところは夢ってことでおしまいにしておきましょう。どうせ席は隣同士なんだし、私がこれから世界を滅ぼすのを見せる機会もいくらだってあるし。あんまり粘っても意味ないわね」

ザ・地味のくせに今日はよく喋るな。
夢にしては現実感があまりにありすぎる気はするが。

「そういうことならおやすみなさい。新しい世界の夜明けは、またそのうちに作ることにするわ」

そう言って手を俺の方へと伸ばし、一言つぶやく。

「デッドエンド」

意識、いや、記憶はそこで途絶えた。

昨日までと何も変わらない。
ただ、挨拶を交わすだけの俺と字木の関係。
やはり夢だったのだろう。
そう確信した。

「字木」

返事はない。
これもいつも通りだ。
字木は誰の呼びかけにも応えない。
話は聞いているようで、頼みごとなら首肯はするのだが。

「……何でもない」

一時間目、授業中。
老齢の教師による世界一眠たい授業として有名な世界史の時間である。
静かに、静かに、黒板がチョークを削る音が教室にこだまする。
リズミカルに、それでいて不規則に、小気味いい音を響かせる。
かつかつ。
かつこつ。
こつ、こつ。
こつ、
――ことん。
教師の持っていたチョークが手からこぼれおちた。
そのまま動かない。

「……先生?」

最前列に座っている生徒が、教師に声をかける。
すると、そのまま返事をすることもなく、その場に崩れ落ちた。
生徒たちが集まっていく。
が、どうしたことか。
前に集まる生徒のその全てが、ばたばたとその場に倒れていった。
俺が正に駆け寄ろうと席を立った瞬間、袖を掴まれた。
字木が。
俺の袖を掴んでいた。
これは、いつも通りなどではない。

「ちょっと、滅ぼすわね」

手に持ったシャーペンを左から右へと、なぞるように滑らせる。
瞬間、光の柱が教室を左から右へと貫いた。
おもに、教卓を中心に。
記憶がよみがえる。
昨日の『あれ』に違いない。
ほとんどのクラスメイトは光の柱に飲み込まれ、断末魔も残さずに消滅した。
その光景を見て、残されたクラスメイトはもれなく絶句していた。
俺もその一人だったが、内心は自分でも驚くほどに冷静だった。

「もう少し、滅ぼすわね」

おもむろに立ち上がり、手を空へとかざす。
光の轍には徐々に人が集まり、ざわめき始めていた。
次にどこに光が落とされるのか、俺にはおおよその見当がついていた。
腕が振り下ろされた。
数秒の後に教室は、廊下は、光の柱と爆音に包まれ、音を立てて崩れていた。
俺はと言えば、運よくがれきに飲まれることなく生き延びていた。
しかし、光は止まなかった。
一つ、また一つと、俺たちの学び舎に刃を突き立て、その全てを灰色の地平へと作り変えていた。
再び校舎のがれきの頂上に立つと、今度はまだ町並みが残っていた。
そう、残っていた。
注ぐ光が、その町並みを近くから遠くへと、順に破壊していくのが俺の眼前に広がっていった。
また、あの光景か。
数分の後、灰色の地平が辺りに広がっていた。
今度は、月光ではなく、陽光が辺りを照らしていた。
天空大楼閣は、やはり見えなかった。

「それにしても、不思議ね。どうしてあなたは死なないのかしら」
「俺が聞きたいくらいだな。こんな光景、何度も見せられてちゃ頭がおかしくなりそうだ」
「それに、私は昨日のことは全部なかったことにしたはずなのよ。なのに花井くんは覚えてる。もしかして、花井くんも私みたいに世界を滅ぼせるんじゃないかしら?」
「できたとしてもごめんだな。俺は世界を滅ぼしたいほどいろいろ煮詰まってねえよ」
「それは残念ね。ところで、私が世界を滅ぼせるって信じてくれた?」
「あんな眠い授業で披露されてもな。どうせまた俺が居眠りでもしてたんだろ」
「じゃあ次は放課後にでも世界を滅ぼそうかしら。それなら起きてるでしょう?」
「もう滅ぼさなくてもいいだろ。滅ぼされる側の身にもなれよ。上着忘れたせいですげえ寒いんだよ」
「残念ね。とりあえず元には戻しておくわ。あとは、滅ぼす方法も少しひねりがいるかしら」
「いらねえよ。まず滅ぼすのをやめろ」

世界のついでに俺の身が滅ぼされる日も遠くなくなるだろうからな。
もっとも、こいつが滅ぼした世界をなかったことにできると言うなら、俺が滅ぼされたところで何の影響もないのかもしれないが。

四時間目が終わると同時に、異変は起きた。
原因は無論字木であるが、少々ひねった滅ぼし方をしたようだった。
そして今までに比べ、地味であった。

「……何したんだ?」
「全世界のあらゆる生命体の活動を停止させたわ」
「全世界の全ての命を殺したってことか」
「御名答。どう? 今回は寒くないでしょう?」

寒くはないが実に気味が悪い。
これまで派手に破壊しながら世界を滅ぼしていたせいで、音もなく世界が滅ぼされると言うのはあまりにも奇妙だ。
派手な方に慣れてしまった自分にも若干の嫌悪感を感じないわけではないが。

「何でいちいち世界を滅ぼすんだよ?」
「何て言うか、趣味かしら」
「悪趣味にもほどがあんだろ。大体この死体の山、どうすんだよ」
「どうせなかったことにするんだし、別に放っておいていいでしょう」
「なかったことにするなら、最初から滅ぼすなよ。意味なさすぎだろ」
「そんなことないわ。花井くんのおかげで、また新しい滅ぼし方を覚えたもの」
「……そんなものを覚えさせたつもりはねえよ」
「勝手に覚えたのよ。私の手柄よ」

そんな手柄いるか。

「もういい加減信じてくれたんじゃない? 私が世界を滅ぼしたってこと。今度ばかりは夢では片付けられないくらいに目覚めてると思うけど?」
「……かもな」

ザ・地味の顔がほころぶ。
人並みに笑えばちゃんと花の咲く顔をしているのに、光の雨で世界を滅ぼしてみたり、クラスメイトの呼びかけをスルーしてみたり、何を考えているのやら。

「ふふ、面白いわ。最近で一番面白いわ。あなたといるとどうしてこんなにも心が躍るのかしら。初めて世界を滅ぼしてからと言うもの気が向いては世界を滅ぼしてきたけど、こんなに楽しく世界を滅ぼしたのは生まれて初めてだわ」
「普通の人間は世界を滅ぼしたりはしねえもんだ」
「きっと……そうね。あなたと二人だけの、秘密を共有しているからかしら。私が世界を滅ぼせることを、あなたは知っている。世界がすでに滅んだことをあなたが知っているということを、私は知っている。不思議ね。こんなにも瞭然な景色が広がっていても、私たちの他には誰ひとり気づくことはないのよ」

空にかざした手が、振り下ろされる。
窓の外、遠く遠くの地平の果てに、巨大な光の柱が上がった。
距離感など分かるはずもない。
あまりに遠く、あまりに巨大であった。
それの余波と思しき揺れが伝わるまで数分間。
地を割かんばかりの地震が、学び舎を襲った。
机に突っ伏して絶命している生徒たちは、衝撃で地面に転がり、校舎は崩れ、再び灰色の地面を作り始めた。

「世界は、今まで何度も滅んでいるわ。私の手によって。あなたも多分、それに気づいていたんじゃないかしら」
「気づいてたとして、一体誰に言えるってんだよ」
「そう、言えないわよね。誰にも。私以外には、ね」

そう、言えない。
言えるはずもない。
世界が何度も滅ぼされていて、滅ぼした人間が俺のクラスメイトのザ・地味と形容する外ない女であることなど、俺どころか世界中の誰が言っても信用するはずがない。

「けど、それがどうした? お前は世界を滅ぼしても、必ずなかったことにする。これまで何回滅ぼしてきたかは知らねえが、少なくともまだ世界が滅んでねえことからそう言いきってもいい。だったら、世界が滅んだ事実を俺が知ってるかどうかなんて、世界さえ存在してりゃどっちだって関係ねえだろうが」
「道理ね。でも、口先だけでそんなことが言えたとしても、あなたはこの真実が持つ本質に気づいてしまっているのよ。だからこそ、私とあなたの秘密が成立しうるのよ」
「いちいち話をぼかすな。ストレートに言え」
「いや、よ」

拒否された。
それも、実に小悪魔的に拒否された。

「私がいくら口で説明しても、あなたは感情が納得しなければ受け入れないわ。ストレートに話しても、あなたに関しては無駄、無意味。だったら、分かりやすい現実を目の前にぶら下げるのが親切ってものだと、私は思うわ」
「分かりやすい現実? 見せたいなら見てやるよ。その現実とやらを持ってきな」
「せっかちは損をするわよ。急かなくても大丈夫よ。次に世界が滅んだ時、ちゃんと理解して、納得できるようにしてあげるわ。世界が滅ぶってことが、どういうことなのか。特に、あなたにとって、ね」

長話のうち、全ての地平は灰色になっていた。
まだ昼のはずだが、太陽はすでに沈みかかり、茜色の光が灰色の地平を照らしていた。

「さ、これが最後になるわ、きっと。だからおやすみ、花井くん」

手を俺の方へとかざし、以前にも聞いた一言をつぶやく。

「デッドエンド」

意識は途切れた。

何事もなかったかのように、チャイムが鳴っていた。
時刻は午後十二時二十分。
四時間目が終わった時刻であった。
なかったことにした。
あの一面灰色の世界は、なかったことになった。
クラスメイト達はめいめい帰り支度をし、せわしく動いている。
字木もその一人。
せわしくはしていないものの、ゆっくりと帰り支度をしている。
静かに、物音をたてないように、自分の存在を他の誰にも悟られないようにしているのではないかと、俺は思った。
勘違いかも、しれないが。
今日は土曜日、もう学校に残っている理由もない。
足早に帰途についた。

それからは何もなかった。
家に着くまでの間も、家に着いてからも。
家族はいた。
小学校もあった。
クレーターなんて一つもなかった。
そうしてクリスマスイブを迎え、その昼下がり。
そこまでが、いつもの日常。
そこからが、『あの』日常。
部屋でくつろいでいると、窓の外が暗くなった。
一階に降りると、親父もお袋も姉貴も、窓から外を見ていた。
そこには太陽がなかった。
空は真昼にもかかわらず、黒かった。
しかしその真ん中には、小さく、白く、しかしはっきりと輝く光球が鎮座していた。
あの光であることは明白だった。
しかし、一分、二分と経っても、光の雨は降らなかった。
爆音もない。
クレーターもできない。
建物も吹き飛ばない。
人も消滅しない。
世界は、まだ滅んでいなかった。
安心と違和感を覚えつつ空を眺めていると、携帯が鳴る。

『こんばんは、花井くん』

『いつもの』方ではない。
地味以外の形容をかぶった方の字木の口調。
電波であればよかったと後悔させる方の字木の口調。

「それは夜の挨拶だ。今は昼だ」
『いいえ、夜よ。世界の夜更け』

地味以外の形容は必要ない。
もう分かっている。

「要件を言え。聞いてやる」
『今学校にいるの。デートしましょう』
「世界の滅亡はいいのかよ」
『そんなことを大っぴらに言っていると頭のおかしい人だと思われるわよ』
「お前に言われたくねえな。……学校だな? すぐ行く」

学校に着くと、普段の制服姿ではない字木がいた。
中身が大魔王でなければ、引く手もあるだろう。

「早かったわね」
「うるせえよ。それで、どういうつもりだ?」
「言ったでしょう、デートだって。目的は、あなたの認識を改めさせること」
「どうせなかったことにするんなら、デートも意味なんかねえだろ」
「そのうちに分かるわ。意味があるかどうか、必要かどうかなんてことは」

駅前の商店街をただぶらぶらと歩いた。
三日前にがれきの山だったそこには肉屋もあり、魚屋もあり、学校帰りによく食べるコロッケ屋も健在だった。

「花井くん、あのコロッケを食べるわよ」
「好きにしろよ」
「何言ってるのよ。デートなんだから、あなたも食べるのよ」

字木の買ってきたコロッケを、渋々食べる。
相変わらずうまいが、心に余裕のない状態で食べてもうまさ激減だ。
ただコロッケだけを食べて商店街を抜けると、字木は手を空にかざした。

「ちょっとだけ、ね」

ゆっくり、手を振り下ろす。
もう慣れた光景だ。
止めたことなど一度もないが、止める気などもうない。
空に輝く小さな太陽から一筋の光が伸び、商店街のど真ん中に落ちた。
爆風が商店街を駆け抜け、俺たちに砂ぼこりとがれきを叩きつけた。

「さて、行くわよ」

そう言うと再び商店街の方へと足を進めた。
凄惨、と形容するのが簡単かつ正確だった。
器用なまでに、商店街にいた人たちは一人残らず絶命していた。
光の中心地はクレーターによって消滅しており、なくなったものの中には先ほど食べたコロッケやも含まれていた。

「さっきのコロッケ、おいしかったわね」
「これじゃもう食えねえけどな」
「おかしなことを言うのね。なかったことにすれば、関係ないのよね?」
「そう、だな」
「じゃあ、そうするわ」

手を前に突き出し、つぶやく。
この手が、俺に向けられていないのを見るのは初めてだった。

「デッドエンド」

意識は途切れた。
商店街は破壊されていなかった。
目の前のコロッケ屋もそのままだ。

「どう? もう一つ食べていく?」
「いらねえよ」
「そうよね」

それ以上のことは言わず、商店街を抜けて歩みを進めていった。
俺の散歩コースを進んでいく。
道中、公園やら小学校を見つけるたびに、字木は手を振り下ろし、特大のクレーターを作ってはなかったことにしていった。

「ちょっと回りくどいことをしてみたんだけど、何か花井くんの意見は変わったかしら?」
「何も」
「やっぱりまだ、なかったことにすればそれでいいと思ってる?」
「もちろんだ。お前が壊してきたものは全部、壊されたことなんてなかったみたいに平常営業じゃねえか。だったら、お前が世界を滅ぼそうが何をしようが、なかったことにすれば何の意味もねえよ。もちろん、このデートだってな」
「そんなことはないわ。だって、あなたはこうして覚えているから」
「だが、なかったことにするならそれはなかったってことだろ」
「強情ね」

右手を振りあげ、そして強く振り下ろす。
小さな太陽から、五つの光が伸び、眼前にあった住宅を一つ一つ丁寧に破壊した。
そのうちの一つは、俺の家だった。

「確かあなたの家はこの辺りよね? 壊せてるといいんだけど」
「当たってるよ。あの赤い屋根が俺の家だ」
「随分冷静なのね。ご家族は出かけてるのかしら」
「全員いるよ。たぶん、生きちゃいないだろうけどな」
「一応確かめてみる? かなり威力は絞ったから、形くらいは残ってるかもしれないわよ」

見たらどうなるって言うんだ。
どうせ元に戻るんだ。
死んでたって、死んでなかったことになる。
壊れてたって、壊れてなかったことになる。
見たところでただ、字木が世界を滅ぼすのに人を殺していたということを再認識するだけでしかない。
何より、そんなものは見たくない。
冷静だ?
そんなことはない。
ただ、もう慣れたってだけのことだ。

「もう気は済んだかよ? さっさとこの黒い空も、俺の家族も、元に戻せよ」
「いいえ、まだよ。あなたが自分の言葉で認めるまでは、全てをなかったことにはできないわ」
「何を認めろって? 俺がお前みたいに世界を滅ぼせる、とかか?」
「違うわ」
「じゃあ何だよ?」
「世界の全てが忘れても、あなたと私がいる限り、世界は決して元に戻りはしないということよ」

認めない。

「お前が壊したもんは全部、お前が元に戻してるじゃねえか」
「その通り。私が壊したものは全て、私が元に戻しているわ」
「だったら、世界はお前が壊す前と同じだ。全部が全部元通りだ」
「それは違うわ。私が元に戻してきたのは、私が壊したものだけ。私が元に戻していない、戻せないものが二つだけあるのに、気づいていないわけではないわよね?」

認めない。

「……知らねえよ、そんなの」
「嘘。嘘つき」
「嘘つきでいい。俺は知らない」
「分かったわ。それじゃあ、私があなたの代わりに答えてあげるわ」

右手を一払い。
光の柱が、俺の背後に並び立っていた住宅街を一直線に消し去った。
それとともに、空にいくつかの光の線が見えた。

「あなたはちゃんと気づいてる。私が元に戻せない二つのもの。一つが私の記憶。もう一つがあなたの記憶。そのほかの全ては、大地も、建物も、命だって、私が元通りにしてきたわね」
「全て元通りだ。俺も、お前も。世界も」
「違う。世界は元通りになんてなっていないわ。今ここにあるのは、一度も私に滅ぼされたことのない世界なんかじゃない。何度も私に滅ぼされて、その度に元通りにしてきた世界よ」

左手を天にかざし、振り下ろす。
注ぐ光は雨となる。
大地に注ぎ、全てを壊す。
建物も、人も。

「俺だけが目をつぶって生きていれば、世界は元通りだ。俺とお前以外には、世界が滅んでることを知ってるやつなんかいねえ」
「その通り。でもね、あなたのように目をつぶって生きていける人が他にいないってことも、理解してるわよね?」
「うるさい」
「だってみんな、死んでるのよ?」

灰色の地平が広がっていく。
もう周りには何もなかった。
俺の家も、小学校も、高校も、商店街も。
遠くに見える天空大楼閣は、今まさに、光の雨の餌食になって消えていくところだった。
なくなっていく。
世界が滅んでいく。
これでもう、何度目だったか。

「お前が殺したんだ」
「私が殺したわ。一人残らず、殺したと思っていたわ」
「みんな死んでたんだ。でもお前はそれを、なかったことにした」
「私一人が目をつぶって生きていけば、世界は元通りだったからよ。私以外には、世界が滅んだことを知っている人なんかいないから。いなかったから」
「俺が、知ってる」
「そう、あなたはもう知ってる。世界中の人が死に絶えたことも。世界が滅亡したことも。あなたは本当に、今まで通りに愛せると言えるかしら? すでに一度死んだ世界を。私には、できない」

爆音は彼方に響いていた。
見渡す限りの範囲において、世界はすでに滅んでいた。
見渡す限りの範囲の外も、やがて滅びるだろう。

「もう元には戻らない。私もあなたも、もう愛すべきものなんて一つもない。知ってしまったから、気づいてしまったから、もう何も愛せはしないのよ」
「何もない、か。お前の理屈だな」
「あなたには、まだ愛すべきものがあるとでも言うのかしら? この灰色の世界に、華やかな飾り付けをしただけの空虚な世界に」
「ああ、もう。認めるよ。世界は死んだ。俺が今まで接してきた人も、お前以外の全ての人は、もう死んだ。なかったことになんか、もうできない。でもな、死んだ人間以外にもこの世界には、まだ愛すべきものが二つだけ残ってる」
「嘘。もうこの世界には、何もないわ。何もない。あなたはただ、それを認めれば、それでいいの。私の目的はそれだけ。私と同じ感情を、気持ちを、心を、他の人と共有することだけ。あなたには、それ以上のことは求めていないのよ」

音はない。
空も、少しずつ暗くなっていく。
天頂の太陽も、光を弱めている。

「だったら残念。目論見は外れだ」
「何があるって言うのよ。こんな世界に、一体何があるって言うの」
「あるじゃねえか。お前がなかったことにできないもんが、二つ」
「そんなもの、私は、愛せないわ」
「当たり前だ。俺だって愛せねえよ。大体、愛だってよくわかんねえよ。それでもまあ、他に愛すべきもんが何もねえんじゃ、愛すしかないんじゃねえかって、そう思うんだよ」

小さな太陽が、空ではじけた。
その欠片が空を飛び、黒い空は満天の星空になった。

「そんなの、あなたの理屈よ」
「その通り、俺の理屈だ」
「でも、一理あるかもしれないわ」
「一理あるだろ?」
「でも、それを決めるのは、私よね」
「その通り」

手を俺の方にかざす。
ああ、そろそろ終わりか。

「おやすみ、だろ?」
「そうね。おやすみ、千曲くん」

「デッドエンド」

目が覚めると、昼下がりの俺の部屋だった。
日付はもちろんクリスマスイブ。
家も、町並みも元通りだ。
ただ、俺が戻らなかったという意味で、世界は元通りではないのだが。
何事もなく、ただ時間が過ぎた。
いつもと同じ散歩道。
イルミネーションで華やかに煌めいている。
サンタクロースなど信じる年でもないが、街を闊歩するサンタを見ると今でも心躍る。

「おはよう、千曲くん」

いつもの方ではない方の。
字木花火がそこにいる。

「今何時だと思ってんだよ。それは朝の挨拶だ」
「朝よ。今は、世界の夜明け」

前にも同じやりとりがあった。
候補その一が再び頭をよぎる。

「それから……私の、夜明け」

地味なサンタの素敵でレアな『プレゼント』に免じて、候補その二は心にしまっておくことにする。

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