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退屈スパイス

「もう春だなぁ」
「いくらなんでも気が早いでしょ。まだこんなに寒いのに」
道行く生徒たちはコートにマフラーに手袋と、冬真っ盛りの格好をしている。
「そうは言っても、ほら。みんなマスクしてるし」
「風邪が流行ってるのね。あたしも気をつけないと」
「いやいや、あれは花粉症だって。みんなくしゃみしてるし」
そこここからくしゃみの声が聞こえる。
「あれは鼻風邪ね」
「その頑固さ、いる?」

「雪代くん風音さんおはよう! 今日も太陽がキラキラ輝いてるね!」
新正が空を指さす。
「ああ、うん。おはよう」
「あんた本当に元気ね。寒くないの?」
空は灰色の雲で覆われている。
「寒いなんて感じないね! 僕のハートはいつでも太陽色に燃え盛っているよ!」
「だからって二月になってもその格好はどうかと思うわ」
コートを着ないどころか半そでのワイシャツである。
「なあ新正、世の中には風邪をひかない人間がいるらしいぞ」
「それは素晴らしい! 僕も是非その人を見習いたいものだね!」
「まあ、見習うまでもなく、ってことよね」

「結局茉莉からはバレンタインのチョコを貰えなかったわけだけど」
「なによ。義理ってでかでかと書かれたチョコがそんなに欲しかったの?」
ハート形の大きなチョコ。
その中央に義理と書かれたものを想像する。
「あー、うん。やっぱ微妙かも」
「でもなぁ、結局母さんと香澄からしかもらえないってのは、一男子高校生としてちょっと思うところもあるよなぁ」
「あんたでも少しはモテたいと思うこともあるわけ?」
「まあ、ないとは言わない」
「だったら、モテる奴の真似をするところからじゃない?」
「例えば?」
「新正とか?」
「あれは……ないな」
「そう、よね」
モテるから真似ればいいというわけではない。
二人揃ってそう思った。

「茉莉もモテたいと思うことあるか?」
「別に、ないかな」
涼夜の問いに、茉莉の答えがわずかに詰まる。
「へえ、そうなんだ。じゃあときどき告白されてたりするのも割と迷惑なのか?」
「なっ! ……んでそれ知ってるのよ」
睨みつけるように聞き返す。
「先に帰れって言われたときにあとつけたら告白されてた」
「全く余計なこと……そうよ、そこそこ迷惑ね」
内心では嬉しく思っていた。
「羨ましいよなぁ。俺も好き好き言われてみたいよ」
「涼夜大好き」
大根役者もびっくりの棒読み。
「せめてその苦虫を噛み潰したみたいな顔はやめてくれ」
「真顔のほうがよかった?」
「それはそれでいやだな」

一時間目が始まる前。
涼夜は茉莉の宿題を写している。
「茉莉、サンキュ」
「はいはいどういたしまして。あんたちゃんと宿題やってきなさいよ。バカじゃないんだから」
「まあ、気が向いたらな。あと、二番と五番の答え間違ってたぞ」
「そんなにすぐ分かるんだったら自分でやってきなさいよ!」
今日もこうして茉莉の宿題は完全になる。

「怠け者」
涼夜の方を向いてできるだけはっきりと言う。
「ナマケモノかぁ、結構泳ぎうまいらしいな」
「動物の方じゃないわ。あんたのことを言ってるの」
「俺? まあ、働き者ではないよな」
「頭も悪くないし運動もそこまで苦手でもないし、もうちょっと頑張ったら余裕で一番になれるものとかありそうなのに、なんで何も頑張らないの?」
「だって、疲れるし。一番になりたいとも思わないしな」
言外に頑張れば一番になれると聞いても、とりあえず茉莉は怒りを封じ込めた。
「でもモテたいんでしょ?」
「それは……まあ、そうだ」
「だったら、スポーツでも頑張ってみたら? あんたも、まあ、客観的に見たらかっこいいほうなんだし」
「客観的ねぇ……茉莉の主観だと?」
「ブサイクよブサイク!」
「それ結構へこむなぁ……」
「へこむくらいならちょっとは頑張りなさい!」
結局スポーツを始めることはなかった。

「もう雪降らねえのかなぁ」
窓の外に広がる空はからりと青く晴れていた。
「さすがに今年はもう降らないでしょ。三月になるし」
「結局あんまり雪で遊べなかったんだよなぁ。雪降るたびに風邪ひいてたし」
「日ごろからちゃんと健康に気を使わないからよ」
「やっぱそうだよなぁ……。雪の前日に一晩中外で雪を待ってたのがいけなかったのかなぁ」
「絶対それよ」
「じゃあ俺も明日から健康に気を使うようにするよ」
「いい心がけじゃない。何から始める?」
「まずは十分な睡眠からだな」
翌日涼夜は寝坊した。

「涼夜って結構子供っぽいところあるよね」
涼夜は少しムッとする。
「そんなことないだろ。それを言ったら茉莉の方が断然子供っぽいだろ」
茉莉も返すようにムッとする。
「言ってくれるじゃない。あたしのどこが子供っぽいって言うのよ?」
「辛いのダメ。お化けダメ。錠剤飲めない」
返す言葉に詰まる。
「あんただって、未だに雪積もるとテンション上がるし、コーヒー飲めないし、行事の前日興奮して眠れなくなったりしてるじゃない!」
涼夜もまた、詰まる。
「なあ」
「なによ」
「このくらいにしておかないか」
「賛成よ」
両者痛み分けで、互いに子供っぽいということになった。

「あ、猫だ」
道端に仔猫がいる。
近くを見渡しても、親らしい猫は見当たらない。
「本当だ。迷子か?」
「かわいそうに。おなかすいてるのかにゃー?」
にゃあ。
と、いかにも返事らしい鳴き声を出す。
「涼夜、キャットフードとか持ってない?」
「なんで俺がそんなもん持ち歩いてるんだよ」
「そうよね。涼夜が役に立つものを持っていた試しはないもんね」
「それはさすがにひどい」
「あ、そういえばあたしささみ持ってたっけ」
「お前は何でそんなもん持ち歩いてるんだよ」
その問いに対する答えはなかった。

「一度くらい空を飛んでみたいと思ったことってあるでしょ?」
「いや、多分一回もないな」
「あんたちょっと人としてどうかと思うわ」
「そこまで言われるとは思わなかった」

「一度くらい空を飛んでみたいと思ったことあるよな?」
「それはこの間あたしが聞いたでしょ」
「やっぱり空を飛んでみたい気になってさ。実際どうやったら飛べるんだろうな」
「なんか、ジェットでも背負ってみるとか?」
「それなら二年前に僕もやってみたけど頭から落ちて怪我をしたよ!」
「バカなだけじゃなくて頭も固いのね!」

「風音さん! 最近知ったんだけど、バカは風邪をひかないって言葉があるらしいね!」
「あんたのためにあるような言葉ね」

「宝くじで三億当たったらどうする?」
「まあ、ちょ」
「貯金以外で」
図星を突かれ、一瞬固まる。
「……とりあえず服でも買うわね」
「へえ、意外と普通な感じだな」
「じゃああんたはどうするのよ?」
「やっぱ、ビルの上からばら撒いて拾う人を見下してみたいよな?」
「同意を求めないでよ。同意できないし」

「ねえ涼夜、もし今一万円もらえたらどうする?」
「その場で破り捨てて俺に一万円くれた奴を愕然とさせる」
「それは確かに愕然とするわ……」

「なあ新正、今一万円もらえたらどうする?」
「みんなで焼肉パーティでもしようか! みんなの笑顔はプライスレスだからね!」
「多分こういうところがあんたと違うところなのよね、バカだけど」
「こういうのがモテる秘訣なんだろうな、バカだけど」

「雪代くん、一つ聞きたいことがあるんだ!」
「別にいいけど声小さめで」
「それはできないな! 日頃からの発声練習が重要なのさ!」
「だからって教室で大声出さなくてもいいからな!」
「ところで質問なんだけれど!」
「なんだよ!」
「君はいつになったら僕を下の名前で呼んでくれるんだい!」
「お前が小さい声で話せるようになったらな!」
「これくらいのボリュームならいいかい?」
「お……おう。小さい声も出せるんだな」
「その気になれば簡単さ!」
「……っいきなり大声に戻すんじゃねえよ!」

「ねえ涼夜、今日って何の日か知ってる?」
「いや、多分今日は何の日でもないと思うぞ」
「おかしいわね、あたしの記憶が正しければ今日は特別なお返しをする日のはずなんだけど」
「だとすればそれは茉莉の頭がおかしくなっ痛ててて」
左手首を茉莉にぎりぎりと締められる。
「いや、わかってるけどさ、それを茉莉が言うのはおかしくないか?」
「どうしてよ? ホワイトデーはバレンタインのお返しをする日でしょ?」
「だってお前今年バレンタインに何もくれなかったろ」
「あたしが言ってるのは去年のお返しのことよ!」
去年のホワイトデーにお返しを渡さず機嫌を損ねたことを思い返す。
「……お前、結構根に持つタイプなのな」
「ちゃんと去年の分のお返しをくれれば来年からまたチョコを上げるのもやぶさかではないわ」
「……あんまり高くないものなら」
「今日はちょっと駅前に寄っていくわよ」
一年越しのお返しはおよそ二千円になった。

「汗ってさ、塩味だよな」
「まあ、そうね」
涼夜は昼食の爆弾おにぎりを食べている。
中身は鮭のようだ。
「あれってさ、誰かが食べるために味付けしてるんじゃないかと思うんだ」
「誰が食べるのよ。ライオン? トラ?」
「いや、多分あいつら塩味とか気にしてないし」
「じゃあ他に誰が塩味のついた人を食べるってのよ?」
「やっぱそりゃ……俺?」
「カニバリーズムッ!」
「うおぅ!? 何だ!?」
驚きのあまり涼夜が弁当箱をひっくり返す。
中身は幸い空であった。
「ここで僕、新正真司登場! そして君を食べる!」
「痛い! マジで痛い! お前の歯どうなってんだよ痛え!」
制服の袖の上から新正がかぶりつく。
「ひふほひはへへふははへ!」
「何言ってるかわかんないけど喋るたびに歯が食い込んでやばい!」
「塩味のついた人を食べるのは新正だったわね」
「痛いこれ千切れるって助けてくれよ茉莉!」
「後であたしもしょうゆでもかけて食べてみようかしら」
「やめろ!」

「海の生き物って、雷とか落ちても大丈夫なのかしら」
「実はトビウオ以外の魚は雷食らっても大丈夫らしいぞ」
「え、そうなの?」
茉莉は驚きを顔に浮かべる。
「なんたって周りには水しかないわけだしな。雷食らってお陀仏じゃろくに子孫も残せないだろ」
「それは、そうだけど。じゃあどうしてトビウオだけはだめなのよ?」
「あいつら、雷の瞬間を察知して海の上に出るんだよ。だから雷を食らうことがないってわけ」
「すごいわねトビウオって。それにしても、あんたなんでそんなこと知ってるの?」
「決まってるだろ。今でっち上げたからだよ」
「よし、表に出なさい」
廊下に立たされた涼夜が教師に発見されるまで十五分間、他の生徒の目に晒され続けた。

涼夜が茉莉の宿題を写している最中。
「茉莉ってさ、嘘つかないよな」
「何言ってるのよ。人として当然でしょ」
「そっかー、俺は人でなしだったか」
「何言ってるのよ。涼夜として当然でしょ」
「マジか。さすがの俺でも少し凹むぞ」
宿題を写す手が止まる。
「でもさ、やっぱ時々は嘘ついたほうがいいと思うぞ」
「なんでよ。嘘つかずに過ごせるならそのほうがいいに決まってるじゃない」
「だってお前、すごい簡単な嘘にも簡単にだまされるだろ」
「そ、んなことない、し」
つかえつかえの返答。
ほとんど否定できていない。
「じゃあ俺がこれから嘘つくから、何が嘘か当ててみろよ」
「やってやろうじゃない! さあ、さっさと嘘つきなさいよ!」
「ああ、あとでな」
「せっかく気分乗ってきたんだからさっさと嘘つきなさいよ!」
「じゃあ……ここ、三番答え間違ってるぞ」
「はいダウトよ!」
次の授業、当てられた茉莉は答えを間違えた。

「茉莉は本当に素直だな」
「うるさいわね。何とでも言いなさいよ」
「そんなんだと年取ってから詐欺とかに引っかかったりするんじゃないか?」
「はぁ? いくらなんでもそれはないでしょ。あんなのに引っかかるのはバカだけよ」
「そうか、茉莉もバカの仲間入りか。何と言うか、少し残念だな」
「なんであたしが詐欺に引っかかる前提で話してるのよ!」
「まあでも、俺ならお前を騙すなんで訳ないし、やっぱり詐欺に引っかからないように練習しておいたほうがいいと思うけどな」
「練習って、具体的にどうするのよ」
「あー、とりあえずトイレ行ってくるわ。その間に考えとく」
「結局考えてないんじゃない、全く」
トイレへと席を立つ。
その三十秒ほどの後。
プルルルル。
「はい、もしもし」
『ハーイ! 僕だよ僕』
「あー、新正? 何よ電話なんかして。直接こっちに来たらいいじゃない」
『それが実は、困ったことになってね。急にお金が必要になったんだ。本当に申し訳ないんだけど、明日返すから一万円貸してくれないかい?』
「はぁ? 何よいきなり。それに一万円って、そんなにいきなり貸せないわよ」
『そうか……。仕方がないね。今までありがとう、風音さん。いろいろと楽しかったよ』
「ちょ、ちょっと。どうしたのよ」
『あと一万円だけ足りないんだ。それがないと、僕はもう明日から学校には行けなくなる。頼れるのはもう風音さんしかいなかったんだけど、仕方がないよ。もうきっと会うこともないと思う。雪代くんにも、よろしく伝えておいてくれ』
「……わかったわよ! 放課後でよければ貸してあげるわよ! じゃあ、四時に校門まで来なさい!」
『ありがとう風音さん! 恩に着るよ! あと、少し話してほしい人がいるんだ。少し待ってもらえるかな』
「いいけど……」
電話口の向こうに何やら声が聞こえる。
新正だけではないようだ。
なかなか変わる気配がない。
「ちょっと、新正?」
『ああ、ごめんね。今代わるよ』
携帯を手渡す音がする。
『もしもし』
聞きなれた声。
電話口で少し変わったように聞こえるが、とても聞きなれた声。
「……あの、涼夜?」
『はい正解。何か言いたいことはあるか?』
「つまり、その、これは……」
『その通り、性質の悪い冗談だ。いやしかし、新正の演技はさすが演劇部って感じだったな。どうだ、感想は?』
「……今どこ?」
『今? 三組だけど』
「わかった。これからそっちに行くから、せいぜい縮こまって待ってなさいよ!」
『いやだから、騙されないように練習を』
「うるさい! 問答無用に決まってんでしょ! 新正もそこ動いたら地獄に落とすわよ!」
『大人しく待ってたら?』
「地獄行きに決まってんでしょうが!」
『やばい、逃げるぞ新正!』
電話が切られる。
「逃がすか!」
三分と持たず、涼夜は茉莉に捕らえられた。
その後三十分間新正は逃げ続け、ついに放課後まで捕まることはなかった。
「何あいつ! これだけ追いかけても捕まえられないとか!」
「なあ、茉莉……。そろそろ下ろしてくれないか……」
「あんたは放課後までそこにぶら下がってなさい!」
「マジか……」
五時間目の途中で教師に解放されるまで、涼夜は教室の後ろに吊るされていた。

「もう春ね」
「ああ、すっかり春だ」
温かい風が頬を撫でる。
「今年も桜、咲くかな?」
「そりゃあな。これまで桜が咲かなかったことなんてないだろ」
「まあ、そうね。あたしたちが心配しようがしまいが、結局ちゃんと桜は咲くのよね」
「そういうことだな。桜を見て、花見して、いつものように過ごしてればそれでいいんだよ」
「まあ、あんたはもう少し気合を入れて何かに打ち込んだほうがいいと思うけどね」
「耳が痛いけどな。でも俺のやる気だって無限にあるわけじゃないんだ」
「じゃあどのくらいならあるのよ?」
「あー、まあ、そうだな。花見を楽しみにして待つくらいのやる気はある」
「本当、どっかにあんたのやる気落ちてないかしら」

「ねえ涼夜。明日ヒマ?」
「愚問だな」
「そう、ヒマなのね」
「ちょっと待て。どうしてそうなる」

「何かカッコいいセリフ?」
「そう! 僕の代名詞になるような、カッコいい決め台詞を考えてほしいんだ!」
ドザン!
手に持った袋を机の上に置くと、いやに重い音が机に響く。
中身は漫画本がたくさん詰まっていたが、そのどれもがシリーズの途中の一冊だけだった。
「何だこれ」
「漫画さ! 僕のお気に入りのセリフが入った巻だけを集めてきたから、ぜひ参考にしてくれ!」
「こんなネタバレまみれの中途半端な巻が読めるわけないでしょ!」
「大丈夫さ! 一回読んでも三日後には忘れるからね!」
「それはあんただけよ!」

「今日も何事もなく終わったわね」
「茉莉は何事かあってほしかったのか?」
「そんなことないわよ。ただ、もう少しだけ刺激があってもいいかもとは思うけどね」
「まあ、俺たちの生活に与えられる刺激なんて、せいぜい辛口のカレーくらいなもんだろ」
「それもわかるけど……」
「刺激が足りないなら、足りないなりに楽しめばいいさ」
「そんなものかしら」
「そんなもんだよ」
ひゅう。
夕闇に冷やされた風が通り抜ける。
「さ、帰ろうぜ。今日はカレーだったよな」
「足りない刺激は、とりあえず食事で摂取しましょうか」
刺激の足りない日常に、刺激の足りないカレー。
毎日は退屈でも、カレーは今日もおいしかった。

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